整体との出会い
私は22歳の時から整体術を覚えて、いろいろな人に施術して技を磨いてきました。
整体術を覚える事になった切っ掛けは、その頃付き合っていた女性(今の妻)の父親も母親も整体業をしていた事です。
結婚前に妻の家に遊びに行っていた時に、夕食の用意が出来たから一緒に食事をしよう、と声を掛けられたのですが、その直後に、急に激しい胃痙攣の痛みに襲われてしまったのです。
激しい痛みに苦しんでいたら、後の義父が私の背中を触って、ボキボキッと大きな音がしたと同時に痛みが霧消して、急激に大空腹感を覚えました。胃けいれんの激痛が、ほんの1分ほどの施術で雲散霧消したのには驚きました。
その後に、スキーで右足首を捻挫して、市内で一番大きな整形外科病院で治療を受けていましたが、2ヶ月経っても痛たくて踵を着けない状態でした。
そこで再び義父に診て貰いましたら、転んだ衝撃で腰骨が歪んでいるからと、腰骨の歪みを直してもらうと、またもや足首の痛みが激減して踵を着いて歩けるようになったのです。あとは余韻だけが残っていましたが数日間で霧消してしまいました。
この2回の大きな体験をしたことから、整体術に興味が湧いて、義父と義母から手解きを受けて、自分でも工夫を加えて上手になっていきました。
義父母は全国に在る「長生館」の開祖の柴田館長の直弟子で、師範と副師範をしていましたで、教えるのが上手でしたから、おかげさまで私はメキメキと腕を上げる事が出来ました。
その当時は電電公社に勤めていたので、職場の同僚の腰痛やギックリ腰や、手首や膝の痛みや四十肩やムチ打ち症などを治してやって、さらに技術が向上しました。
やがて電電公社を退職して独立開業してからも、客先で足腰の具合が悪い人がいると、一所懸命に治して上げていました。
整体院を開業している訳ではないので、何回も通って貰う必要は無いから、一度で治して上げるように工夫を凝らして、毎日、行く先々で数人の治療を無償でして上げていましたので、腕前は、とっても向上しました。
お得意様は“内海さんのマッサージは1回50万円だからな!”なんて冗談を言って下さったり、高額な設備を納入する時は、“あと2回施術してくれれば買うよ!”なんて言われた事もありました。
ギックリ腰で寝ている家に呼ばれて治して上げたり、病院のベットから落ちて具合が悪くなったお年寄りを病室まで治しに行ったり、皆さんが私の技術を信頼して下さってあちこちから呼ばれました。
ある整形外科病院では、院長が激しい頭痛で診療時 間内なのに診察が出来ず、自室で床に伏せているのを、治療して仕事に戻して上げたり、整体の信用で電話設備販売工事業もまあまあに経営していました。
内海間嵯男の大きな発明
昭和51年に電話転送装置チェンジホンを発明して、NTTを始め主な通信機器メーカーから特許料をいただきました。
平成04年に電話転送装置を発明普及させた功績で、当時の科学技術庁長官から【科学技術振興功績者】として表彰されました。
平成12年に健康椅子の発明の功績で、東久邇宮記念賞を受賞しました。
他にも沢山の発明とノウハウがあります。別頁にありますから、“特許・発明”をクリックして下さい。
健康椅子の開発のきっかけ
発明者の私(77歳)が50代になった頃から、車を運転している時に、とても強い腰痛を感じるようになった事がきっかけです。
車を乗り出すと、数キロ走っただけで腰が痛くなり始めて、遠距離行くのがとても辛い事でした。
そこで、長年の整体の経験があり、発明好きな所から、どうしたら腰痛にならないで運転できるかの研究を始めました。
性能を完璧な物にすると、どうしても車のシートの中には収まらなくなったので、家庭用の椅子の中に収めたのです。
そしてこの椅子に座って、腰の周囲が柔らかくなると、車を運転しても、腰は全く痛くならなかったのです。群馬県から名古屋、大阪までの往復 1,000キロ以上の長い距離でも、全く腰が痛くならず、あの辛かった腰痛から解放されたのでした。
その後、知人や友人に座って頂いて、改良を重ねて、今の「健康椅子」が誕生したのです。
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