はじめまして!
「体が元気になったおかげで、未来に向けてやる気が出てきたことがうれしい」と言われる、
健康椅子を製造販売している内海勝裕呂(うつみかつひろ)です。

お客さんの言葉を丁寧に聴いて誠意を持って対応していきたいと思っています。

「翌日、腰の痛みがスカッとなくなり、調子がいい」と笑顔になっていただけることが、わたしのよろこびです。

内海社長肖像

「一生けんめい、助けてくれた」

小さいころ、わたしは、好奇心のかたまりで、やんちゃな子どもでした。

3歳のころ、妙義山にある妙義神社に連れて行ってくれました。

「かつひろ、妙義神社に行くぞ。行くか?」
「うん、行く!」

ある日、やんちゃなわたしは、急な坂を見たら、うれしくなって、たぁっと走り出しました、すると、止まらなくなって、大泣きしながら走り続けました。

坂の向こうは、急な階段。父は、わたしのあとを追いかけて、階段の手前でつかまえてくれました。

「お父さん、ぼくのために、一生けんめい、助けてくれた」

父は、テープレコーダーとか新しい機械をよく買ってきました。

「こういうものは、よく説明書をよく読むんだぞ。まずは、お父さんが見本を見せるから」 と言って、父は、説明してくれました。好奇心が強いわたしは、目をらんらんと輝かせて様子をじっくり見ていました。

そのおかげで、説明書をよく読むということが、自然と身についていったのです。

小学生3年生のころ、夏休みなると、父は、よくプールに連れて行ってくれました。長いすべり台を一人ずつすべるのが、楽しかったです。

父は、「お父さんが見本を見せるからな」といって先にすべってくれました。何回も何回もすべっては、見本を見せてくれました。

父は、ふだん仕事で帰りが遅く、なかなか顔を合わせることもありません。日曜日も、父は、午前中は寝ていることが多かったので、一緒に行けるプールがとても楽しかったのです。社長子供時代父と

「おまえ、できちゃうもんなぁ」

小さいころ、父には、きつくおこられてばかりでした。楽しく話していたと思うと、突然「おまえ、あのとき、だめだった」と説教が始まります。

「なんで、これができないんだ!」

父は、いつも150%、200%のことを求めます。わたしが、できない、と言っても、「でも、やるんだ!」と言われ続けました。

「なんで、こんな理不尽なことをいわれなきゃいけないんだ」と思うために、家の外では、枠にはまらないやんちゃ坊主のような振る舞いをしていました。

小学校2年のとき、そんなわたしの姿を見た近所のおばさんが、鼓笛隊に入ることをすすめてくれました。その前にピアノも習っていたとき、好奇心があったので、すぐに譜面が読めるようになっていました。

その甲斐あって、横笛は、説明書をよく読むことで、すぐうまく吹けるようになったのです。

すると、先生はさらにむずかしい譜面を渡すのです。むずかしい曲でも、すぐに吹けるようになりました。上手に吹けることが純粋に楽しい!という気持ちが、吹けるようにさせてくれたのです。

先生が、「よくぞ吹けた。おまえは、なんでもできちゃうもんなぁ」とほめてくれました。先生から、みとめられたとき、とてもうれしかったです。

中学では、学校の吹奏楽部に入りました。渡されたのは、ファゴットという楽器。音を出すこと、安定して音を出し続けること、とてもむずかしい楽器です。

学校にはわかる人がいかなったので、外部の講習会に行って、一生懸命話を聴きました。教わった通りにひたすら練習することで、ファゴットも安定して吹けるようになりました。

みんなとの合奏がピッタリ合ったときは、とても楽しい瞬間でした。 子供時代

「帰って来い!」

工業高校を卒業して父の経営する会社に就職。22歳のとき、父の知り合いの経営者のすすめで、青年会議所に入りました。

青年会議所の5歳ほど年上の先輩から飲み会の席で「おまえの態度は生意気だ!」と言われました。わたしもカッとなって、「なんだとぉ~!」と大ゲンカ。

ある会合のとき、講師の先生の「長幼の序」という講話が終わったあと、大ゲンカをした先輩が、わたしのところに寄ってきて言いました。

「あのとき、おれが言いたかったのは、今日の講和の話だったんだよ。年上の者と年下の者の間には、ある秩序がある。だから、まずは、年上の者を立てることが大事だということだったんだ」。

そのとき、わたしは、素直に、その先輩に「先輩のおっしゃること、よくわかりました」と返事をすることができました。それからは、その先輩にかわいがってもらいました。

25歳、自動車教習所の講師として働いていたとき、送迎車で事故を起こしてしまいました。長時間労働で、さらに糖尿病を患っていたので、体は悲鳴をあげていたのです。

そんなわたしの姿を、父は、つらそうに見えたそうです。

「うちに、帰って来い!」

父から有無を言わせない厳しい言い方に、いやだと言えませんでした。そして、家に戻り、父の会社で、一緒に仕事をすることにしました。

青年会議所で

「おれも、もの忘れがひどくなったかなぁ(笑)」

父は、最初通信機器の開発販売をしていました。その後、わたしが、29歳のとき、父とわたしで、健康椅子を開発販売することにしました。

当時買った車のシートがわるく、10キロも運転すると、父もわたしも腰を痛めてしまいました。運転中の腰痛対策として作ったのが、健康椅子開発のきっかけです。その後、車のシートにつけるには大きすぎるので、「自宅で椅子に座って楽になったらいいなぁ」という考えで作ったのが、現在の健康椅子です。

そのため、最初は腰痛のための健康椅子でした。その後、両足人口股関節の方が使うと、股関節の痛みがなくなり、スムーズに歩けるようになったなどの声を聴くようになったのです。それから、現代医学では、解決できない難病の方に役に立ちてるかもしれないと思い、研究開発してきました。

ところが、実際のお客さんとの交渉などは、父は、わたしには任せてくれません。わたしがなにかしようとすると、「そんなのダメだ!」となんでも否定される。

わたしの知人に、健康椅子を納入するときのことです。なぜか、父も同行。わたしがお客さんに説明しようとすると、父が遮り、説明始めました。

いつまで経っても、小学生扱い。そんな父の理不尽さに、だんだんやる気が、そがれてきました。

30代後半、20年近く参加していた青年会議所の中で、少しずつ、わたしがやること、わたしが提案することが評価されるようになってきました。

3歳年上の先輩と一緒に飲みに行っては、いろいろ相談しました。兄貴のように慕っていたのです。

ある日、わたしが提案をしたことに対して、「内海くん、よくそんなこと思いついたねぇ」と感心してくれました。さらに、会合でわたしが提案するときも「じゃあ、内海くんの味方をするよ」と言ってくれました。そのように、味方になってくれることが、とてもうれしかったのです。

それからです。生意気と言われることが減ってきました。いままで、いつも人一倍うまくやらないといけないという思い込みが強かった。人に対して「負けるもんか!」という意識がとても強かったのではないかと。そのために、いつも、生意気に見られていたのではないかと、気づいたのです。

40歳をすぎたころ、ひ孫ができてから、父も変わりました。ひ孫と接する姿を見て、なにやってんだかなぁ~と、こちらが笑うようなことが多くなりました。

いままで、父は、自分の失敗や言い忘れがあっても、「言ったはずだ!」と自分の非をみとめませんでした。

ところが、孫ができてからは、「おれも、もの忘れがひどくなったなぁ(笑)」と言うようになったのです。

自分の弱いところをみとめるようになった父を見て、「親父は、不器用な人なのかなぁ。表現することが下手な人なのかなぁ」と思うようになりました。

「もしかしたら、、、人一倍愛情があるのに、人一倍表現をするのが、下手な人なのかもしれない」

なぜ、私が【誠実】を使命と掲げているのか?

これまで20数年、健康椅子を販売してきました。売った台数500台。その中には、なんくせつけられてキャンセルになったのが、約60台。

最初は、「なんてお客なんだ。なに言ってんだ!」と腹が立っていました。

あるとき、父から、「やるだけのことをすべてやったのか?お客さんが理解するまで説明したのか?」と聞かれました。

父からそのように言われて、「やるだけやった」と自信持って言えない自分がいたのです。そして、いつも、キャンセルになるのは、お客さんのせいにしている自分がいると気づいたのです。

いつも150点を求められてきたため、できなくても150点のフリをしてごまかしてきたのです。お客さんがちゃんと理解してないようなときも、見て見ぬフリをしてきたのです。無意識のうちに、適当に取り繕っていたのです。

そうなんです。わたしには、”誠実さ”が欠けていたのです。相手の話や思いを真面目に受け止め、その思いに応えるように行動してこなかったのです。

相手に負けないように、相手より上に立とうとしていたのです。その結果が、理不尽に「生意気だ!」と言われ続けてきたことに、やっと気がつきました。

そこで、わたしは、【誠実】を使命と掲げることにしました。

それからです。まず、健康椅子を検討されているお客さんの話を誠意を持って聞くようにしました。

「痛みの具合は、どんな感じですか?チリチリ、ガンガン、ズンズン、ズキズキ、どんな感じですか?」

お客さんの「痛み」の表現を誠意を持って聞くことで、お客さんの現状の「痛み」を区別できるようになったのです。

その上で、「痛み」別に、健康椅子の座り方を、むずかしい言葉を使わずお客さんが理解できるように説明するようになりました。うそ、ごまかし、取り繕うことなく、誠実に。

誠実に対応するようになると、キャンセルがその後1件だけに激減したのです。

結果、お客さんからは、このように言われるようになりました。

「体が元気になったおかげで、未来に向けてやる気が出てきたことが、うれしい」

「夕べはよく眠れたので、これでまた、ちゃんと仕事ができる」

「足が軽くなった。楽になったなぁ。おかげで娘と一緒に旅行に行ってきました。いっぱい歩いたので、疲れちゃったけどね(笑)」

このようにお客さんが”笑顔”になることが、わたしのよろこびです。

「なんで、こんな辛い目に会わなければならないの…」

「こんな痛み想いをしなければならないのは、なぜ?」

「食べ物にも健康にも気をつけていたのに…」

このように理不尽な想いを持っている方のために、いつも【誠実】を使命に持って、早く痛みを解消することに努めます。

最後に、
いまも一緒に仕事をする親父に、ひと言。

「親父に『もうおれからはなにも言うことはないよ』 と言われるようにがんばるから、これからも見守っていてください。
人一倍の愛情、ありがとう」

内海

 

 

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